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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)647号 判決 1963年5月23日

第一審原告(第六四七号事件控訴人・第六六九号事件被控訴人・第三五一号事件反訴被告) 前田とら 外七名

第一審被告(第六四七号事件被控訴人・第六六九号事件控訴人・第三五一号事件反訴原告) 前田保三

主文

原判決中主文第二項及び第三項を取消す。

第一審被告は別紙物件目録<省略>第一記載の土地につき、第一審原告前田とらのため三分の一、その他の第一審原告らのため十二分の一ずつの各共有権取得登記手続をなせ。

第一審被告の控訴並びに反訴請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも(反訴の分を含む)第一審被告の負担とする。

第一審原告らにおいて金百五十万円の担保を供するときは、原判決中主文第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一審原告ら訴訟代理人は、昭和三十六年(ネ)第六四七号事件につき「主文第一項前段及び第二項同旨並びに訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする」との判決並びに原判決中第一審原告ら勝訴の部分(原判決主文第一項)に限り仮執行の宣言を求め、同第六六九号事件につき主文第三項前段同旨の判決を、反訴につき「主文第三項後段同旨及び反訴の費用は第一審被告の負担とする」との判決を求め、第一審被告訴訟代理人は、昭和三十六年(ネ)第六四七号事件につき「本件控訴を棄却する」との判決を、同第六六九号事件につき「原判決中第一審被告敗訴の部分を取消す。第一審原告らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告らの負担とする。」との判決を求め、予備的反訴として「第一審原告らは第一審被告に対し別紙物件目録第二記載の建物を収去して同目録第一記載の土地を明渡せ。」との判決を求めた。

当事者双方の陳述した事実上の主張は、左記のほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

第一審原告ら訴訟代理人は次のとおり述べた。

一、第一審被告主張の反訴請求原因事実のうち、別紙物件目録第二記載の建物(以下本件建物という)が第一審原告ら及び第一審被告の共有に属することは認めるが、その余の点は否認する。同目録第一記載の土地(以下本件土地という)は第一審原告らが本訴で主張するように、第一審原告ら及び第一審被告の共有に属するもので、第一審被告が単独に所有するものではない。

二、本件土地が第一審被告の単独の所有に属するものとしても、第一審原告らは第一審被告の承諾のもとに、本件土地のうえに本件建物を共有しているものである。

三、第一審被告が亡前田兼吉から本件土地の贈与をうけたものであるとしても、当時第一審被告と兼吉との間には、兼吉のために建物の所有を目的とし、期間の定めなく且つ無償の地上権設定契約が締結された。兼吉は右地上権に基いて、昭和十五年六月七日以降本件土地のうえに自己の建物を所有しこれに居住してきたが、昭和二十年戦災のため右建物が焼失したので、昭和二十一年本件建物を建築して居住し、その家族(第一審原告旭治を除くその余の第一審原告ら及び第一審被告)をこれに同居させた。兼吉が昭和二十五年頃品川区北品川四丁目七一八番地に移転した後は、第一審被告が本件建物に居住するようになつたが、その所有権は従前どおり兼吉に属し、同人死亡後は、相続人である第一審原告ら及び第一審被告の共有に帰したものであり、その敷地である本件土地に対する上記地上権も、右と同じく第一審原告ら及び第一審被告の共有となつたものであるから、第一審原告らの本件土地の占有は正当な権原に基くものである。

第一審被告訴訟代理人は次のとおり述べた。

一、第一審原告ら主張の催告並びに契約解除の意思表示のなされたことは認める。

二、仮りに、本件建物が第一審被告の単独所有に属するとの主張が認められず、第一審原告ら及び第一審被告の共有に属するものであるとするならば、第一審原告らはその敷地である本件土地を占有するなんの権原もないから、第一審被告は本件土地の所有権に基いて、第一審原告らに対し本件建物を収去して本件土地の明渡を求めるため、当審で上記のように反訴請求をなす。

三、第一審原告ら主張の地上権設定契約締結の事実は否認する。

当事者双方の証拠の提出、援用及び認否は、左記のほかは、原判決の摘示と同一であるから、これを引用する。<証拠省略>

理由

第一、本訴についての判断。

一、前田兼吉が南齊と号して桑樹匠を業としていたこと、第一審原告前田とらはその妻、その余の第一審原告ら七名及び第一審被告らはその子で、次男である第一審被告のみは東京美術学校を卒業し同じ業を営んでいること、兼吉が昭和十五年六月六日訴外東京建物株式会社(以下東京建物という)から本件土地を代金一万四千六百五十五円七十銭で第一審被告の名義を用いて買受け、第一審被告名義にその所有権移転登記を経由したことは、いずれも当事者間に争がない。

二、第一審被告は、「本件土地は兼吉が買受けた頃、第一審被告が兼吉から贈与を受けたものである。」旨主張するので判断する。原審証人高橋寿子、川島りん、高田太助、鈴木新太郎、前田清太郎、当審証人萩谷吉五郎の各証言並びに原審及び当審での第一審被告本人の供述中には、第一審被告の右主張事実に副う趣旨の部分があるけれども、後記各証拠に照してたやすく信用することができない。

いずれも成立に争のない甲第四号証、第五号証の一及び三、乙第七号証の一ないし四、第八号証の一、二、原審証人前田昇吉、川島りん、高田太助、鈴木新太郎、前田清太郎、当審証人萩谷吉五郎の各証言、原審での訴訟承継前の原告本人前田兼吉、原審及び当審での第一審被告本人、当審での第一審原告本人前田旭治の各尋問の結果を綜合すれば、次の事実を認めることができる。

第一審被告は幼少の頃から兼吉の仕事に興味を持ち、大正十二年三月小学校を卒業するとすぐに兼吉の仕事の修業に入り、仕事のかたわら築地の工芸学校夜間部に通学し、昭和四年頃には木工芸に関しては大体一人前となつた。昭和四年頃兼吉の勧めもあつて、第一審被告は彫刻家である訴外関根聖雲の指導を受けたが、将来桑樹匠たる美術家として大成することを志し、昭和五年東京美術学校彫刻科に学び昭和十年同校を卒業した。このような経過で、親族もこぞつて第一審被告は兼吉の後継者であると認めるようになり、兼吉は自己のよい後継者を得たことを喜んで第一審被告に期待をかけ、第一審被告もまたその期待に応えてその業に専念した。また、兼吉は本件土地ほか一筆の土地を東京建物から買受けるに当り、その資金が不足したため、訴外株式会社日本勧業銀行から金一万五千円を借り受けたが、その際第一審被告は兼吉とともにその連帯債務者となつた。

しかし、上記認定の諸事実があるからといつて、後記認定の諸事実に対比して判断すると、ただそれだけでは第一審被告主張の贈与がなされたことを認めるには足りないし、その他にこれを認めることのできる証拠はない。

反つて、いずれも成立に争のない甲第一号証の一ないし三、第二号証の一、第四号証、第五号証の一及び三、第六号証、第九号証の一なし七三、第十一号証、第十二号証の一、二、第十三号証、原審証人余川仙、飯田勝郎、前田昇吉、原審での訴訟承継前の原告本人前田兼吉、原審及び当審(第一、二回)での第一審原告本人前田とら(但し原審の分は訴訟承継前で証人として、以下たんに第一審原告本人という)、当審での第一審原告本人前田旭治、原審及び当審での第一審被告本人(但し上記信用しない部分を除く)の各尋問の結果と右認定事実とを綜合すると、次の事実を認めることができる。(一)兼吉は第一審原告とらとの間に、六人の男子(第一審原告旭治、同正男、同昇吉、同健吾、同博吉及び第一審被告)と二人の女子(第一審原告都喜子、同繁子)をもつた子福者で、戸主として一家を主宰していたものであるが、長男である第一審原告旭治は兼吉の仕事になんの興味も持たず、大正十三年頃中等学校二年を中退して森岡商店に勤務し、昭和十四年五月頃には兼吉と別居するに至り、他の子供らもそれぞれ兼吉の仕事と関係のない方面に進み、上記認定のとおり兼吉は第一審被告に仕事を継がせようと考えていた。兼吉は東京建物から本件土地を買受けた当時、本件土地に居住しここを営業の場所として使用していたものであつて、本件土地は兼吉の仕事を継続するために必要な土地である関係上、兼吉としては本件土地を将来適当な時期に仕事の後継者となるべき第一審被告に贈与する考を有していたけれども、その当時ただちに右贈与をする意思は全く有していなかつた。兼吉は本件土地を買受けるに当り、買主として自ら売主側と売買代金額の決定その他の折衝をなし、自己を買主と表示した売買契約書を作成したもので、その所有権取得登記は自己名義で経由することになんのさしさわりもなかつたが、当時は旧民法による長子相続制度のもとにあつたので、自己名義に所有権取得登記を経由するならば、いずれは家督相続により本件土地は長男旭治(第一審原告)のみの所有に帰し、そのため将来仕事の後継者となるべき第一審被告が本件土地に居住して営業を継続するのに支障を生ずべきことをうれいた結果、本件土地の実体上の所有権は自己に保留し、いずれは仕事の後継者たるべき第一審被告に将来において贈与する意図のもとに、家人に相談することもなく、右のような趣旨で名義のみを第一審被告の名を用いることとして、東京建物から直接第一審被告名義に所有権取得登記を経由した。兼吉が本件土地の上に所有し居住していた建物は昭和二十年戦災のため焼失(右罹災の点は当事者間に争がない)したので、兼吉は昭和二十一年その跡に本件建物を新築し第一審被告と同居したが、すでに老令に及び仕事も思うようにできなくなつたので、昭和二十五、六年頃本件土地建物を他に処分して生活方針の切替を図つたが、第一審被告に反対され、さらに昭和三十年頃には生活費を捻出するために本件土地の空地の部分にブロツク式モルタル塗の貸事務所を建築することを計画し、その資金を貸す人もあつたので、その建築許可の手続を経たけれども、第一審被告の同意がえられなかつたので、右計画も実現の運びに至らなかつた。かくて、兼吉と第一審被告は次第に不仲となり、昭和三十一年九月兼吉は本件土地が自己の所有であることを主張し、上記計画の実現を図るため、第一審被告を相手方として東京家庭裁判所に家事調停の申立をなしたが、不調に帰した(右調停の点は当事者間に争がない)ので、本訴を提起し第一審に係属中死亡するに至つたものである。

前掲甲第二号証の一、第三号証、第十一号証、成立に争のない乙第四号証、原審証人飯田勝郎、前田昇吉の各証言、原審及び当審(第二回)での第一審原告本人前田とら、原審での訴訟承継前の原告本人前田兼吉の各証言を綜合すると、次の事実を認めることができる。(二)兼吉は本件土地とともに東京建物がらこれに隣接する宅地十三坪四勺を買受け、本件土地と同様第一審被告名義に所有権取得登記を経由し、右地上に本件建物に接して建物を建築所有していた。右隣接の土地は最も価値のある角地であるが、兼吉は昭和二十四年三月三十一日金策のため訴外飯田勝郎に対し地上の建物とともに右土地を売却したが、その際買主との売買交渉はもつぱら兼吉がこれに当り、所有名義が第一審被告となつていた関係上、兼吉から第一審被告に対し、所有権移転登記に必要な書類に調印を求めたのに対して、第一審被告は異議なくこれに応じ、右土地が自己の所有に帰しているものであるなどとは少しも主張しなかつた。原審及び当審での第一審被告本人の供述中右認定に添わない部分は前掲各証拠に照してたやすく信用できない。

また、前掲甲第四号証、成立に争のない乙第一号証、原審証人余川仙、前田昇吉の各証言、原審及び当審での第一審原告本人前田とら、原審での訴訟承継前の原告本人前田兼吉、当審での第一審原告本人前田旭治、原審及び当審での第一審被告本人の各尋問の結果を綜合すると、次の事実を認めることができる。(三)、兼吉は戦災にあうまでは、本件土地のほかに数戸の貸家等を有していたが、六男二女の子福者であり且つ多数の雇人を使つていた関係で、その生活はけつして豊かでなく、子女の多くは中等学校卒業又は中退の程度でそれぞれ職に就き又は他に嫁したが、第一審被告は苦しい家計のなかで兼吉から学資をうけて上記のように美術学校を卒業したのであり、兼吉が戦災にあつてからは、本件土地は兼吉の財産のうちの主要部分を占めるものとなつたこと、第一審被告を除くその余の男子は、順次父兼吉と別居しそれぞれ独立の生計を営むようになつたけれども、兼吉はこれらの子供等に対し特に財産を分与したことはなかつた。

さらに、いずれも成立に争のない甲第六号証、第七、第八号証の各一、二、原審証人余川仙、前田昇吉の各証言、原審での訴訟承継前の原告本人前田兼吉、原審及び当審(第二回)での第一審原告本人前田とら、当審での第一審原告本人前田旭治の各尋問の結果を綜合すると、次の事実を認めることができる。(四)兼吉は本件土地を他に処分しようとして、第一審被告の反対にあい紛議を生じたため、訴外宮脇次郎が仲裁した結果、昭和二十七年八月中第一審被告は父兼吉に対して同月から兼吉死亡に至るまで毎月二万円宛の生活費を支給することを約し、同時に兼吉は第一審被告が右契約を確実に履行したときは、将来本件土地とともにその地上の本件建物を第一審被告に譲渡し且つ他の兄弟姉妹らから異議を述べないようにすることを約し、その旨の誓約書(甲第六号証)を作成した。しかるに、第一審被告は兼吉に対し右約定の生活費を数ケ月分支給したのみで、その後の支払を滞つたので、兼吉は昭和二十九年十二月八日第一審被告に到達した内容証明郵便をもつて、七日以内に延滞分を支払うべく、もし右期間内にこれを支払わないときは、右契約を解除する旨の意思表示をなしたが、第一審被告はその支払をしなかつたので、右契約は解除された。

上記認定の(一)ないし(四)の諸事実に徴して判断すると、兼吉は本件土地買受当時においては、第一審被告に対し将来適当な時期にこれを贈与しようと考えていたけれども、それは兼吉が内心そのように考えていたにとどまり、その後兼吉の資産状態が悪化し且つ第一審被告と折合が悪くなつたために、兼吉は当初の考を変え、第一審被告に対する本件土地贈与の意思をすてるに至つたので、右贈与契約はついに実現されなかつたものと認めるのを相当とする。従つて、第一審被告が本件土地の贈与を受けたとする右主張は採用することができない。

三、第一審被告の本件土地に関する取得時効の主張について判断する。

第一審被告は、昭和十五年七月十一日以降所有の意思をもつて本件土地の占有を継続した旨主張するが、本件土地が第一審被告名義で所有権取得登記が経由され、また第一審被告名義で固定資産税が納付されたからといつて、ただそれだけで右主張事実を認めるにはたりないし、他にこれを認めるにたる証拠はない。反つて、前掲甲第四号証、乙第一号証、原審証人前田昇吉、飯田勝郎の各証言、原審での訴訟承継前の原告本人前田兼吉、原審及び当審(第一、二回)での第一審原告本人前田とら、当審での第一審原告本人前田旭治の各尋問の結果を綜合すると、第一審被告は昭和十五年七月十一日当時にあつては、まだ独身であつて、長男旭治を除くその余の第一審原告らとともに、戸主として一家を主宰する兼吉の家族の一員として本件地上の兼吉所有の建物に居住していたにすぎず、本件土地は昭和二十三年頃兼吉が北品川に転居するに至るまで兼吉のみがこれを占有支配していたもので、第一審被告は終戦後において初めて独立した本件土地で営業を開始したことを認めることができるから、その余の点について判断するまでもなく、右取得時効の主張は採用できない。

四、本件土地は兼吉死亡当時同人の所有に属していたというべきところ、兼吉は昭和三十三年十二月六日死亡し、その妻である第一審原告前田とらと直系卑属であるその余の第一審原告ら七名及び第一審被告が相続をなしたことは当事者間に争がないので、本件土地は、各その相続分に応じて第一審原告前田とらが三分の一、その余の第一審原告ら七名及び第一審被告が各十二分の一の持分を有する共有物となつたものといわなければならない。従つて、第一審被告は第一審原告らのため、本件土地についてそれぞれ右持分に応ずる共有権取得登記をなすべき義務あることが明らかであるから、その履行を求める第一審原告らの本訴請求部分は理由あるものとして認容するを相当とする。

五、兼吉が本件土地の上に所有していた建物が、昭和二十年戦災のため焼失したこと、兼吉が昭和二十一年本件土地の上に本件建物を建築したこと、本件建物が当初から登記簿上兼吉の所有名義に保存登記されたことは、いずれも当事者間に争がない。

第一審被告は、「本件建物は昭和二十一年九月頃兼吉が建築して第一審被告に贈与したものである」旨主張し、原審及び当審での第一審被告本人の供述及び当審証人萩谷吉五郎の証言中には、右主張に添う趣旨の部分があるけれども、前掲甲第三号証、第六号証、第七、第八号証の各一、二、原審証人前田昇吉の証言、原審での訴訟承継前の原告本人前田兼吉、原審及び当審(第一、二回)での第一審原告本人前田とら、当審での第一審原告本人前田旭治の各尋問の結果に照してたやすく信用できない。他に右贈与の事実を認めるにたる証拠はない。反つて、上記のとおり、本件建物は建築の当初から兼吉が建築所有し、自己名義で所有権保存登記がなされている事実と、兼吉の資産状態、兼吉一家の家庭状況、兼吉と第一審被告との間の紛争の経過その他上記二において認定した諸事実に徴すると、第一審被告が主張するような本件建物の贈与はなされなかつたことが窺えるので、右主張も採用できない。

六、第一審原告ら主張の使用貸借が成立したかどうかについて判断する。

前掲甲第三号証、原審証人前田昇吉の証言、原審での訴訟承継前の原告本人前田兼吉、原審及び当審(第一、二回)での第一審原告本人前田とら、原審及び当審での第一審被告本人(但し後記信用しない部分を除く)の各尋問の結果を綜合すると、次の事実を認めることができる。

兼吉は本件土地の上に従前所有し居住していた建物が戦災で焼失した後、一時北品川に移つていたが、昭和二十一年中本件建物を建築し、落成後間もなくこれに居住するようになつた。これよりさき、第一審被告は昭和二十一年三月頃復員したが、住居がなかつたので、北品川の父のところに同居し、本件建物が完成するや妻子とともにこれに移り、兼吉としばらく、同居を続けた。昭和二十三年頃兼吉夫婦は北品川に転居し、本件建物は第一審被告に無償で使用させ、その後は第一審被告及びその家族のみが本件建物に居住して現在に至つたものである。

原審及び当審での第一審被告本人の供述中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照してたやすく信用できないし、他に右認定を動かしうる証拠はない。上記認定の事実に徴すると、昭和二十三年兼吉夫婦が他に転居した頃、兼吉と第一審被告との間に本件建物についての使用貸借契約が成立したと認めるのを相当とする。

七、第一審原告ら主張の右使用貸借契約の解約の点について判断する。

前掲甲第六号証、第七、第八号証の一、二、第十二号証の一、二、原審での訴訟承継前の原告本人前田兼吉、原審及び当審(第一、二回)での第一審原告前田とらの各尋問の結果を綜合すると、兼吉は本件土地建物を他に処分し、その売得金のうち相当額を第一審被告に与え且つ自己の負債等を返済し、その残余金をもつて兼吉ら夫婦の老後の生活費に充てようと考え、第一審被告に対し本件土地建物の明渡を求めたが、第一審被告はこれを承諾しなかつたので、兼吉は昭和三十一年九月十四日第一審被告を相手方として東京家庭裁判所に本件土地建物の明渡を求める調停の申立(右調停申立の点は当事者間に争がない)をなしたことを認めることができるのであつて、他に右認定に反する証拠はない。してみると、兼吉は第一審被告に対し遅くとも昭和三十一年九月十四日頃までには、本件建物についての上記使用貸借契約を解約する旨の黙示の意思表示をなしたものと認めるのを相当とすべく、従つて、同日限り右使用貸借契約は終了したものといわなければならない。

八、兼吉が昭和三十三年十二月六日死亡したこと、その相続関係並びに共同相続人の相続分については、上記に判示したとおりであるから、本件建物も各相続分に応じて第一審原告前田とらが三分の一、その余の第一審原告ら七名及び第一審被告が各十二分の一の持分を有する共有物となつたものといわなければならない。ところで、共有者である共同相続人が持分の価格に従いその過半数をもつて建物管理の方法として相続財産に属する建物を共同相続人の一人に占有させることを定める等かくべつの事情のない限り、持分の価格の過半数に満たない持分を有するにすぎない共同相続人は、その建物にひとりで居住しこれを占有するについて他の共同相続人に対抗できる正当な権原を有するものと解することはできない。本件においては、第一審被告は右のようなかくべつの事情についてなんの主張も立証もしないから、第一審被告は相続財産に属する本件建物について十二分の一に相当する共有持分を有するにもせよ、持分の価格の過半数を占める他の共同相続人である第一審原告ら全員からの本件建物の明渡請求を拒みうべきものではない。従つて第一審被告に対しその明渡を求める第一審原告らの本訴請求部分もまた理由あるものとしてこれを認容するを相当とする。

第二、反訴についての判断。

本訴について判示したとおり、第一審被告主張の贈与契約がなされたことは認められないので、本件土地が右贈与により第一審被告の単独所有に帰したことを前提として、その所有権に基き、第一原告らに対し本件建物を収去してその敷地たる本件土地の明渡を求める第一審被告の反訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当たること明らかであるといわなければならない。

第三、原判決中右と反対に第一審原告らの各共有権取得登記の請求を棄却した部分は不当であるから、民事訴訟法第三八六条を適用して、これを取消して右請求を認容することとし、第一審原告等の本件建物の明渡を求める点については、これを認容した原判決は相当であつて第一審被告の本件控訴は理由がないから同法第三八四条第一項を適用してこれを棄却し、なお第一審被告の反訴請求は理由がないものとして棄却することとし、訴訟費用の負担について同法第九六条、第八九条、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村松俊夫 伊藤顕信 杉山孝)

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